驚きでしかない。

昨日のTVは元首相の死亡の話ばかり。それも美化する話ばかり。日本人は死者を美化する、そのものがメディアに表れた。森友であるとか色々と疑いがあったが、結局は何もなかったかのように野党議員も含めて美化している。海外からも”偉大な政治家”との賛辞。あのウクライナに侵攻したロシアの大統領からでさえ。いくら司法的に問題にならなかったから問題ないなどというのはどうかと思う。司法だって政治にコントロールされている。米国の妊娠中絶の違法を判断した米国司法の例を見れば明らか。

ただ大きく驚いたのはそれらではない。上記は政治からのパフォーマンス。そのパフォーマンスを行うことで人気を得ようとする行動に他ならない。一方今朝ネットで目にした拉致被害者遺族からのコメントには正直、驚いた。これほどまでに彼に感謝していたとは信じられない。彼が何をしたというのだろうか。成果を出した?、やり方を変えた? 旧態依然としたやり方をしただけではないのか? 昨夜、某赤坂のTV局が拉致被害者家族にコメントを求めたため仕方なく発したのかと思い、当該TV局はなんて暴挙をするのかと思ったが、違ったのか。驚く以外にない。

一般論として、口で言うことは誰でもできる。でも実際には何もしない。いや、旧態依然とした行動はするかもしれないが、そこに新たな工夫などしない。結果、成果など何もでない。中にはパフォーマンスを称える者もいる。でもそういう組織体は弱体化していく。ただし政治は全くそうはならない。パフォーマンスだけで維持できる。なぜなら自分たちで稼ぐ必要はないから。税金が自動的に入ってくるのだから。

拉致被害者家族が本当にそう思ってコメントを出したのだろうが、私には全く信じられない。もし自分がその立場にいたとしたら、「頑張ってくれたなどは何の意味もない。結果を出してくれないものに感謝などしない」。だって自分の一番大切な家族のことなのだから。

日本人の”美徳”なのか、”死者を美化”するのは。全てのことを水に流して褒めたたえる、それって正しいのか。別々のことを一緒にしてしまう。別々のことは別々のことであり合理的に判断しないといけない。だから日本人はいつまでたっても合理的思考ができない。結果、欧州で進んでいるようなシェアワークも進まないし、形上の勤務時間も長いままである。この国の国民はいつまでこれを続けるのだろう。